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三浦半島の絶景ポイント ~東京湾の海底に沈んだ要塞「第三海堡」~

日々の暮らし
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ふと見渡すといろんなものが消えている。今まであった木や草がいつの間にかなくなっている。代わりに現れたのが真っ白なコンクリートの擁壁。温暖化による土砂崩れ防止の工事。道を歩く度に目がチカチカする。そして狭い道路ぎりぎりまで迫った住宅。歩いているだけなのにものすごい圧迫感を感じる。空も見えない。気分転換に散歩に出ると返って息苦しくなる。

ああ、こうやってどんどん物理的に便利になる代わりにどんどん心が不便になっていくんだな。そして、一度壊したものは二度と元には戻らない。今あるものは二度と見ることができなくなる。

ということは今普通にある、古き良き昭和建築の家などの歴史、何十億年もかけて地球が作り出してきた豊かな大自然もこれからもずっとあるとは限らない。むしろ全て消えていく。

そう思った時、今のうちに全部見ておこうと思った。木が切り倒される前に森の中を歩いてみたり、住宅で埋め尽くされる前に里山の姿を眺めたり。日本のために昔の人が作り出してきた様々な歴史や景観。いわゆる名所史跡と言われるもの。

出典:関東地方整備局 東京湾口航路事務所ホームページ
出典:関東地方整備局 東京湾口航路事務所ホームページ
出典:関東地方整備局 東京湾口航路事務所ホームページ

第三海堡遺構もその一つ。

東京湾の海堡とは(3つの海堡)|国土交通省関東地方整備局-東京湾口航路事務所 (mlit.go.jp)

ここを見つけたのは鷹取山ハイキングコースのサイトを見ていたら、他にも名所史跡があることがわかり、好奇心から見学してきました。

第三海堡とは・・・?東京湾に浮かんでいた砲台です。

出典:関東地方整備局 東京湾口航路事務所ホームページ

第三海堡とは?

「江戸時代末期に海の上に作られた砲台」です

神奈川県横須賀の観音崎­―千葉県富津間の海上に浮かんでいた砲台です。

この砲台がなぜ作られたかというと、時は江戸時代末期に遡ります。

江戸末期米国船モリソン号ペリー率いる黒船が来航した時に外国から日本を守るために品川の海岸近くに台場という砲台を作りました。

明治時代に入り、さらに国防を強化するために砲台の数を増やしましたが、陸上からでは敵の船に砲弾が届かなかったため東京湾の真。ん中に「砲台」を作りました。これが「です。

つまり、海上に人工的に島を作ってその上に砲台を配置したものです。

最初に作られたのは、明治の中頃に着工した第一海堡(千葉県富津岬の沖合)。そのすぐ後に外国船が進歩したため、明治の中旬過ぎ頃に新たに海堡を作ったのが第二海堡(第一海堡の少し先)第三海堡(横須賀市観音崎沖)を建設。

実はこの3つの距離感には理由があるんです。この等間隔が丁度等砲弾が届く距離なのです。

ただ作っただけではなくちゃんと意味があったんですね。

東京湾に浮かんでいた第三海堡の広さ」は34,000㎡です。

もはや一つの島。

出典:関東地方整備局 東京湾口航路事務所ホームページ

関東大震災により海底に沈む

明治25年に着工して完成したのが大正10年。完成まで約30年かかりましたが、2年後の関東大震災により1/3が水没、4.8m も沈下しました。機能を失った第三海堡は軍事施設から除かれることになり、大砲は別の場所に移されました。修復されなかったのは、⼤砲の技術が進歩し、砲台が必要なくなったからです。

第三海堡の撤去と遺構保存

関東大震災により暗礁化した第三海堡は悪天候時には見えにくく船舶事故の原因にもなり、平成19年に撤去されました。

撤去された構造物は追浜臨海の敷地に陸揚げされた後、遺構として大型兵舎はうみかぜ公園で一般公開されています。その他の構造物は平成22年に夏島都市緑地へ移設され、遺構として一般公開もされています。

平成19年に海中から引き揚げられた第三海堡は、平成22年に夏島都市緑地に移設され第三海堡遺構として一般公開されています。

夏島緑地に移設後の第三海堡

夏島緑地に移設された第三海堡

砲台砲側庫(弾薬庫)

本当に要塞みたい。謎に包まれている感がワクワクします。

砲台砲側庫 (弾薬庫の中)

監獄のような雰囲気です。

観測所 指揮官の位置するところで、指揮、観測、通信連絡に便利なように高い場所に設置されていたそうです。

実際見てみるとかなり大きくて迫力あります。古代ローマの砦みたい。

観測所の中

メソポタミア文明の古代王国をイメージさせます。

探照灯 夜間の敵艦探知施設です。

探照灯の中

下のレールは565トンの探照灯を運ぶためのレールだそうです。

古代遺跡の牢獄のよう。

とてもミステリアス!!

神奈川県の重要文化財に指定された第三海堡遺構

撤去から移設までの道のりは結構紆余曲折あり、一筋縄ではいかなかったようです。

船舶が大型化したため東京湾での船舶事故が増え、昭和49年から26年間で15件発生し、そのうちの11件が第三海堡に関わるものでした。海運関連から撤去の要望がでるも漁業関係者からは反対意見がでて漁業交渉に30年近くかかったそうです。その間にかなり大きい海難事故が発生したこともあり、平成12年に交渉がまとまり撤去が始まったそうです。

撤去後、一部の遺構については維持することが困難になり廃棄される可能性もありました。が、地元住民の働きかけにより横須賀市、国土交通省と協議を重ねた結果平成22年に夏島都市緑地へ移設されました。

現在は、探照灯砲台砲側庫観測所横須賀市の重要文化財に指定。大型兵舎横須賀市の文化財に指定されました。また、その4件は神奈川県の重要文化財に指定されています。

歴史から学ぶもの 風光明媚な町の変貌

追浜の歴史遺産 見学のしおり 東京湾第三海堡遺構物語より

第三海堡遺構を見てコンピュータのない時代に人間の力だけで作り上げた技術はただ凄いなと感動してしました。

それと同時に知れば知るほど考えさせられる面もありました。

海堡を作るために周辺地域から大量の砂や石材を切り出していたそうです。それによって横須賀市走水にある伊勢山崎という山は、石材が切り出されたため山の大きさが1/3になってしまい、風光明媚な走水の町が変貌を遂げてしまったそうです。

個人的には古いものや、自然が大好きだからなくなったら嫌だなと思っている。でも、考えてみると、その古いものが今の便利な生活を生み出しているわけで、今より昔が良かったというのも何かへんだなとは思う。

今ある便利なものは100年後には歴史になって、ああ昔は良かったなんて思うのだろう。

今日見てきた凄いな~~と思ったものは当時の人は良く思っていなかったかもしれない。

まあ、なんにせよ昔があるから今があるので、歴史は大切にした方がいいということには変わりはないと思う。

生涯勉強ということでこれからも色んなものを見に行ってみよう!!

アクセス/公開日

【住所】
 横須賀市夏島町2-26(夏島都市緑地内)
【アクセス】
 京急線追浜駅から徒歩30分またはバス「追浜車庫前」下車徒歩5分
【料金】
 ー
【営業時間】
 毎月第一日曜日が公開日
 10:00~16:00
【お問い合わせ】
 横須賀市生涯学習課 
 046-822-8484

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